2022/09/08 19:07

自転車で転んで怪我をした

廃線となった線路脇の歩行者用レーンには
「自転車は押して通行してください」と書かれた看板が掲げられていた

私は歩行者が誰も居ないのを良いことに
その小路でこっそりサイクリングを楽しんでいた

線路を斜めに渡る踏み切りが見えてきた
渡ろうとした矢先
前輪が溝にはまり
自転車ごと派手に転んだ

倒れこみながら 結構な怪我を負であろことが予想できた
交通違反を犯した罰だとも思った

すぐに起き上がり
傷の確認を始めると
右足の膝からダラダラと血が流れ始めた

カバンの中を探った
絆創膏なんて持っていない

外ポケットのファスナーを開けると
化粧用コットンが出てきた
以前 娘と泊まったホテルの部屋を出る時
ヨシュアさんが
「これ カバンに入れとくといいヨ」と言ったヤツだった

普段化粧をしないばかりか
コットンなんて全く使わない私は
正直こんなもの持ち歩いて何に使うんだろうと思いながら
2~3週間が過ぎていた

ここで使うんだったんかぁ
と独り言を言いながら
傷口にコットンを当ててハンカチを結んだ

傷口からズキズキと発せられる
電気信号のような痛みを感じながら
小さい頃に外で遊んでは
よく膝を擦りむいて母親に叱られた想い出に意識が向いた

そんなことより
3歳の頃 友達とかけっこをしていて派手に転び
真っ白なタイツがみるみる赤く染まった場面に意識が同期した

3歳の頃のこの出来事はトラウマとなり
今日まで度々私の脳裏をよぎっては
心を締め付けてきた

私のトラウマは怪我に関わるものではなかった

この時一緒に居た女の子が
泣きじゃくる私の傷口を見つめながらポツリと言ったひと言だった

「 あ~あ だから 走らない方がいいよって言ったのに
ほんとに みさとちゃんってどんくさいね 」

何気なく言った3歳のお友達のこのひと言が
私が自分に「どんくさい」とレッテルを貼るきっかけとなった

それ以来
学校で 職場で 家庭で
何かミスをする度に
血に染まった真っ赤なタイツと
「 どんくさい 」のワードがセットで頭に浮かんでは
私を苦しめ続けていた


今ではすっかり大人となった私は
泣かずに自分で自分の傷の手当を済ませることができた
私はもう3歳じゃなかった!

私は懲りずに再び自転車にまたがると
ゆっくりこぎ始めた

真夏の青空に 秋の面影の漂う雲がゆっくりと流れていた

膝から発せられるSOSを感じながら
どこかスッキリした気持ちでいた

心の奥底から
「どんくさくなくても 転ぶときは転ぶんだよ」と
「転んだからって どんくさいってわけじゃないよ」
私の声が癒しと書き換えの言葉を連呼していた

信号待ちをしながらハッキリ実感したことがあった

きっともう
血に染まった真っ赤なタイツが思い浮かぶことはないな

私がこう思うときは
本当にそうなる

「私はどんくさい」と自分に自信が持てなかったり
挑戦したいことにブレーキをかけてしまったり
そんな気持ちになることは
きっともう無い!

しぶとく私にひっついていた
3歳からの大きなブロックが
転倒したのと同時にどっかに飛んでいったようだった

「ブロックを作り上げた経験と
同じ経験をすることって 大事だなぁ」
そんなことを考えながらスーパーで買い物を済ますと
こんどは左足のスネがズキズキと痛んできた

目をやってみると
なんとスネが倍の太さに腫れ上がり
脈を打っていた

転倒したときに打った箇所が
時間差で痛みを発していた

ベンチに腰掛けながら
サービスで配られていた保冷剤を当てた

患部を冷やすと痛みが麻痺して楽になる
だけど保冷剤を外すと激痛が走る

その昔 私はこんな怪我をよく目にしていた
ゴールキーパーだった息子が
サッカーの試合で怪我をしては
痛い痛いと泣いていたっけ

その度に私は 患部を冷やしてあげることも無く
家に着くまで我慢しなさいとか言いながら
イライラしてたっけ

ああ あの怪我って
こんなに痛かったんだね

ごめんね ママ やっとわかったよ

そう言えば
子どもの頃 確かに私はアル中の父親に殴られて来た
でも あの時のたんこぶに比べたら
もしかして 今日の怪我の方が大きいかも

そう思うと
あんなにズッシリと私の心に横たわってきた
実父からの虐待経験さえも
なんだかもう どうでも良いことのように思えてきた


今回こんな怪我をすることになった
その意味を
私はぼんやりと見出し始めていた

ここ最近大きな病気もせず
頚椎ヘルニアが治ってからは
特に大きな怪我もして来なかった私は
人の体の痛みに鈍くなっていた

難産を経験した私は
どこかで「あの時の私の痛みに比べたら」と
体の痛みを訴える人を軽視しがちな傾向があった

大事な自分な左足は
倍に腫れ上がり
大事な自分の右足は
血だらけで
心が痛かった

心が痛い理由は
患部が痛いからではなかった


大事な自分の体を自分で傷つけてしまったからだったり

ヨシュアさんが選んでくれたお気に入りの綿パンがビリビリに破れて血が滲んでるからだったり

怪我をしてふて寝していた息子や娘を 当時は抱きしめてあげられなかった後悔からだったり

私のことを殴ってきたことを父親なりに反省して 孫達にはぎこちないながらも愛を注いでくれていたのに
いつまでも殴られた事を忘れられずに 父を責め続けていたことに気付いたからだったり

それから・・・

それから・・・

今日 怪我をすることになったその意味をしっかり受け止め
守ってくれたガイドさん達にお礼を言った

ありがとう この程度の怪我で済ませてくれて
ありがとう 手荒いながらも 大事なことに気付かせてくれて

秋晴れの空のように 心は晴れていった